あー今日も停電か。
毎日、断続的に停電がおきるんで暗闇の夜を過ごす。
そして、どしゃ降り。水は1週間にいっぺんしか出ません。
夕方近くにどしゃーっと雨が降ってくると、…事務所兼スタジオでは天井からぽたぽたと雨漏りして、あわててパソコンを雨のあたらないところに移動する。
とかしてると、バーンと停電。そして編集終了。
待ってても復旧しないから、今日は帰るかってんで帰る、そんな最近です。
そんなテレビ局でも日々放送は出してるんだから、こっちの人はたくましいよね。
番組はとにかく短時間で作るってのがこっちのやり方のようで、この間も「小さな旅」の5分版みたいな紀行番組を2時間の撮影と2時間の編集で作ってしまった。
なんかなー。
働き始めてからひと月近くですが、やっぱり時間の使い方とか考え方が違うことでギャップを感じることが多い。毎日プチバトルの連続でストレッセなんだけど、バトルすることがいいことなのかもな、とは思うようにしてる。
途上国の、って一般化できないけど、こちらの人たちの生き方のキーワードの一つは、
「見えない化」ってことじゃないかと思う。
ちょっとした番組を作るんでも、撮影するんでも、「こういうねらいで行くんで、こんな感じでヨロシク」っていうのが日本では普通だけど、説明ナッシングなんデスよー。ただその人の頭の中にあるんだか、ないんだか、情報を誰もが分かるような形にファイナライズすることが、こちらの人は苦手みたいだ。
これは視覚化することの習慣があんましないってことで、たとえば、ここの人たちは現地語とフランス語とちょっとした英語をしゃべるんだけど、スペルが書けない。だから編集しててテロップ一つ入れるんでも、なんて書くの?って聞いても曖昧なスペルが返ってくるんでいちいち辞書引いてなおしたりしてる。
一方で、とてもおしゃべり好きで、ひっきりなしに誰だかわかんない人がやってきてひとしきり雑談して帰ったり会議中でも電話がくると中断して、電話が終わらないんで会議がそのまま終わりになっちゃったりする。
これらのことは、実は有機的につながっていて、情報のやり取りを、文字によっておこなうんではなく、言葉のやりとりによっておこなうのがこちらの流儀だってことなんじゃないか。
言葉は話した瞬間に消えてしまうから、みんなが共有化しにくくて、長い時間をかけることが必要だし、何度も繰り返したりする必要がある。
してみると日本だって「見える化」なんて言葉が出てきたのはこの10年くらいで、昔の村落の寄り合いなんかは3日くらいかけてたってのを思うと、このことはわりかし普遍的な情報交換のやり方なんかなとも思ったりする。
宮本常一の世界ですなあ。
まとまりませんが、こっちのやり方を納得する一方で、最近はあえて先進国風のやり方も主張することで、バトルしていこうかなとも思う。そんな摩擦がおきるってことが、こういう異文化交流の意義なんじゃないかなって、誰か同期隊員がFBに書いてたんで、それ、いただきました。
→ 見えない化を「視覚化」する活動をはじめる
「5ヶ月めにマジメに協力隊が悩む」
→ 異文化の価値を見つける アフリカ紀行
「イモ子のアフリカ旅ーとほカメラ」
*初出:2013年9月4日(火)(カメルーン滞在65日目)