青年海外協力隊的あるある・1年5ヶ月 クリスマスに人は集まる

ノエルおめでとう。

ってキリスト教徒でもない自分がそんなメッセージをアフリカの片隅から発して、どうする。

24日のきのうは、おなじみのラジオ制作主幹から、

「日本はナショナルな祭日で、おめでとう」って言われる。

クリスマスは祭日じゃないのになあ、って一瞬わかんなかったけど、これは23日の天皇誕生日のことだった。すっかり忘れてた。

「おー。オノはオポーザン(権力に反対する派)で、しかも エンペラーにもオポーザンなんだなー。」と言われる。

冗談半分だけど。なので一応抗弁する。

「ちがう。俺はオポーザンだけど、エンペラーをリスペクトしてる、と。」

「エンペラーは国民のこと考えてるし、平和を望んでる、と。」

話によると、その天皇誕生日には、カメルーンのビヤ大統領が、天皇陛下に「おめでとう」のレターを送ったことがニュースになっていたそうだ。

知らなかった。ビヤ大統領(=国家元首)と天皇陛下(=国家元首?)が同格だっていう認識も、へえーそうなんだ、って思った。

時節がら、宗教のはなしになって、「日本人は、ブディズム(仏教)とシントーイズム(神道)が メランジェ(混合)で、ムワティエ・ムワティエ(半分半分)だ。」と説明する。

だから自分も「半分は仏教なんだけど、半分は神道なのだ」と言うと、分かったような分かんないような顔されるけど、日本はトゥージュール・コムサなので仕方ない。

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25日になった。

ここイスラムの町でも、人口の2割くらいキリスト教徒がいる。なので、今日は町で一番大きい「丘の上教会」まで撮影に行く。

さいきんカメラマンのアブバカさんが、靴ずれの傷が治って現場復帰したので、カメラお任せして、自分はただ座って適当に「はれーるやー」とか歌ってる。

このミサの大きな特徴は、おなじみの「王さま」も参加するってことである。

毎年そう。去年もそうだった。王さまはイスラム教徒だけど、キリスト教会のミサに参加する。それがここ「バムン王国」ってとこなのだ。

ちなみに、今週の王さま動向。

きのう24日の夜は「カトリック教会」のミサに参加。

今日、25日は「プロテスタント教会」のミサに参加。

あした26日は金曜日なのでイスラームのモスクに礼拝。

なんと素晴らしいことだ。

ゆるゆるだ。

そんだけ宗教がゆるかったら、パレスチナでもシリアでも戦争はおこらない。ここの「バムン王国」の宗教は、もともと土着のものがあって、100年前の王さまは、西洋とイスラームが同時に到着したとき、ちょっと迷って、プロテスタントに改宗したけど、すぐに気が変わってイスラームに改宗した。

特にイスラームは土着とメランジェ(混合)されてよく分からなくなっており、曖昧になっている。そういう曖昧なのが、結果として王国の繁栄になってよかったね、と言える。

日本も割とそんな感じで、宗教もなにも曖昧で、ゆるっとしてるのが、ケンカがなくてよかったね、とホントに思う。

実はそれが日本の真骨頂なのかもしんない。

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ミサの内容って、どこも変わりはないけど、最初から最後まで、とにかく聖歌づくし。だいたい15曲くらい歌ったと思う。

みんな嬉しそうだ。

こういうのが、日本にももっとあるといいのに。いつも言ってますが「家族のつながり」とか「近所のつながり」ってのがこれからの日本では、もはや期待できないので、いろんな「つながり」の多様性を増やした方がいい。

というのが僕の考えですね。

その一つで「宗教的なつながり」ってどうかと思った。でも、そこはイスラームとかキリスト教のようにガチでやるのではなく、あくまで日本らしく、ゆるーくやればいい。

必要なアイテムとしては、「みんなが集まれる会館」と「終わった後の昼メシ」と「楽しい歌」と「司会が面白い話をする」こと。

だから、仏教だったら、日曜に近所の人を呼んで歌を歌って、坊さんには話芸を磨いてもらうとして、ウケる話は難しいとしても、そこそこいい話して、終わったらバーベキューする。

そんなんでいいと思うよ。

曖昧に言ってみると、日本の「宗教者」というのは、宗教が、社会に貢献するという側面の責任を果たしていない。

この国で自分が見た範囲、「イスラーム」の指導者も、「キリスト教」の指導者も、そういう責任を果たしている。

ちなみに、王さまも、王さまとしての責任を果たしている。みなさん立派だなと思ったよ。

ほんとにね。

コーラル隊のみなさん。カメラを向けるとノリノリで歌う

*初出:2014年12月25日(木)

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