【青年海外協力隊・カメルーンの旅】町のコジキはいつの間にか死ぬ

先週、町のコジキが死んだ。

ふだん町中をうろうろして町のトピックを収集している局長が戻ってきて、「街のコジキが死んだぞ」と言うんで行ってみるけど、別段ニュースにはなりません。

 

局長言うところでは、コジキとは言わずに「アタマの変なのが」って言っていた。
彼は有名人らしくて、自分も知っている。
赴任間もなく、歩いていて言いがかりをつけれられたことがあるんで印象に残っていて、その後も何度もふらふら歩いてるのを見かけたことがある。

 

小学生のころにも、近所に、こういう人がいた。
同級生のあいだで通称「金手のコジキ」って呼んでいてJR身延線金手駅の界隈をホウロウしているホームレスだった。
コジキがホームレスっていう呼び名に変わったのはだいたい20年くらい前だけど、それはいい。

金手のコジキは大学のころの同窓会で「死んだ」っていう噂を聞いて、あー、そうなんだって思った。
ともかく町のコジキが死んだりするのは共同体にとってのちょっとしたトピックになるみたいだ。

 

人が集まってるところに行ってみると、今回死んだホームレス氏が白い布にくるまれていて車の後部に横たわっている。イスラームは土葬だから、彼は明日にでも白い布にくるまれたまま埋められるんだろう。

 

聞いてみると、彼は近所の村の出身で家族はいるんだけど、今回車を調達したりして世話をしてるのは家族じゃなくて近所の有志だってことだ。親戚でもないけどボランティアでやっている。

それと、縁もゆかりもない町の人たちが詰めかけていてただ見物してるのかと思いきや、弔意を示して100フラン(物価換算100円)程度のお金をおいていくのを見る。

 

人が死ぬと金がいる。
だから親戚でもないけどわずかばかりの金を置いていく。っていうのが、自然な営みとして行われているんだなって思った。それにならって自分も100フランおいていく。

今週の火曜日15日にイスラームの祭りの一つの犠牲祭がある。
セネガルの同期隊員がそのことを書いていたんで、ちょっとつながるんだけど、犠牲祭では、盛大に生け贄の動物を屠って貧しい人に配ったりするっていうんでいま町は間もなく食われる羊でいっぱいだ。

 

イスラームでは貧しい人に施しをするってことがモラルとして定められている。犠牲祭は決められた慣習としてあるんだけど普段でも「貧しい人には施しをする」ていうのが習慣としてあるっていうのを目の当たりにした。

まだ実感としてほんとうには分かんないんだけど、弱者を助けるセーフティネットは守るっていうのが昔からの共同体の倫理だってのは変わらないですよね。

「村八分」の残り二分は、火事と葬式の時は助けるってんだから。

 

→ 異文化の価値を見つける アフリカ紀行

 「イモ子のアフリカ旅ーとほカメラ

 

→ これからカメルーンに行く人向け、生活や文化情報

 「カメルーンの生活・文化ーとほカメラ

 

西アフリカで「タバスキ」と呼ばれるイスラームの 犠牲祭で、まもなく食われる羊たち

 

ちなみに今日の日本のニュースでも大手コンビニがチェーンを生かして宅配事業とか新規サービスを始めるってのを見ていいことだなって思った。
先進国では、「共同体」を作りなおさないと、もうやっていけない。

初出:2013年10月13日(日)(カメルーン滞在104日目)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です