ドキュメント「青年の日」72 時間 最終回

■2月11日(水)9時■48時間め■

「青年の日」当日になった。

今日は幼稚園生から大学生までの学生が、町を行進する式典がおこなわれる。カメラマンのアブバカさんと一緒に撮影に行く。県知事以下、いろんな要人たちが集まってくる。王室の人たちも臨席。今年は王さまでなくて副王が出た。なので、おなじみの華やかな登場シーンはない。

ちなみに今回は近代イベントなので「近代以前旧勢力」の王室は、ゲスト。

・カメルーン国家斉唱。

・昨日のビヤ大統領の演説テープが流れて、みんなで聞く。

・優秀生徒の表彰。それぞれ点数が読み上げられてる。

・誰だかのスピーチ。

まあどこでも同じだな、というか、それは国が「世界どこでも共通する式典の式次第」を採用してるということだ。

■2月11日(水)11時■50時間め■

学校ごとの行進が始まった。

幼稚園から順番に小学校、中学校と続く。見ていると、子どもたちの様子がものすごく真剣。わき目もふらず一心不乱に手足を動かしてるし、大きな声をあわせて歌を歌ったりしてる。

なんかすごいね。

俺なんかいつも町中を歩いていてると、ちびっ子たちが興味津々で近づいてくるのでカンフーごっことかして遊んでるんだけど、そういうやんちゃぶりを感じさせない真剣さ。仕込まれてるなあ、って感じ。横にいる先生たちも

「前向けー」とか「オラオラ―」

みたいにいちいち檄を飛ばしていて、自分的には微笑ましく感じましたね。

学校ごとすべて決まった制服。

その昔、俺が小学校6年生の時に、地元の山梨で国体があって、その式典にうちの小学校がマーチングバンドをすることになった。まるまる1年間くらい、毎日厳しく練習させられて、面倒くさかったけど、まあいい思い出だけど、なんの話かって、ちょっと前の日本では教育的にも「集団でびしっと行動する」のが、とてもいいことだという認識があった。

少し前に「個性を伸ばしてゆとりがいいね」ってところに一回振れて、それが少し揺り戻されてる、って温度と思うけど違ってたらすいません。

そんな風に、その時代時代でちょっとずつ違いがあるとは思うけど、今この時代のカメルーンで、子どもに対して「ビシッとやれー」というやり方は、俺はいいように思えるのね。

国民性の違いで、日本人は、もともとビシッと集団になりやすいから、あえて崩す方が流行りだけど、カメルーンの人を見てると、すごい自己中心主義なので、こんな風に子どものころにビシッと集団行動をやる、っていうのが今の段階としてはいいんじゃないか。

そういうのが20年くらい続いて、次の世代はまた時代も変わり、微調整すると思うけど。それがどういうものになるのか、見てみたいと思う。またちなみにだけど、

町の子どもたちは「軍人さんの真似」をするのが好き。

ビシッと敬礼して、ビシッと歩く。そういうのが格好良く見えるんだろうから、潜在的にはビシッとしたものへの憧れがあるんだろうね。

■2月11日(水)13時■52時間め■

行進の開始から、2時間が経過した。

行進が終わる気配がない。ゆっくり歩いてるわけじゃない、早足で行進してるのに、一向にあとからあとから子どもが沸いてくるのだ。この町の人口は20万人(当時推定 *最新のデータでは約15万人 出典:CVUC/UCCC 2018年5月4日閲覧。当時こういうサイトはなかった。)。

大ざっぱに学校行ってる子どもって、5,6万人くらいかな。たぶん今日の目分量だけど、絶対そのくらいいる。ウヨウヨいる。

もはや撮影するのも疲れ果ててますけど、それでも、行進してる姿にカメラ向けてあげると、

彼らあきらかに、やる気出すんだよね。

だから、そういうのを応援したいな、って思ってカメラを向ける。

実は、俺が「協力隊」としてこの町にいる意義とか、ってのが、この辺に集約されてるような気がした。報告書の作文に書くような「活動がなんとか」なんてのは実に面白みのないことであって、この国の子どもたちに、「日本人がなんか一生懸命カメラ撮影して、仕事してるなあ」っていう姿を見せること。俺は、自分がこの町にいる意味を、そういうことに見出してる。

■2月11日(水)14時■53時間め■

行進のスタートから3時間。

高校生が続いて、行進が終わりかけている。高校生になると、すっかり大人みたいに体格も立派でヒゲとか生やしてるのもいる。初めのころの小学生とは違って、

この世代になると、もう集中力がない。

式典とは別の、街のスピーカーから流れるアフリカンポップスに合わせて、それぞれが思い思いにチェゲラッチョなダンスを踊ってたりとか、撮影してる一人の日本人を見つけては、「ヒ―、ヒ―、ヒ―」とか「オゥ、オゥ、オゥ」とかいつものように、品格の足りない態度ではやしかけてくる。よく思うけど、俺には、今の小学生たちと、この高校生たちが、同じ軸上にあるようには、なんか思えないんだけど。

単純に子どもが大きくなったら、かわいげがなくなったね、ということだけでもなく、の小学生は、やんちゃな中にも「人への挨拶の仕方」とか「人のことを考える」とかいうのが、教えられているような気がして、それは今の高校生とかそれ以上の若者には感じられないものだ。

それは教育なのかなんなのかは分かんないけど、今の多くの若者は、小さいころにちゃんとした教育も受けてない人も多いと思うけど、そういう人たちよりも、今の小学生の方が「できている」。

この国はきっといい方向に変化してるんじゃないかな。

このように、一事が万事で、世代ごとのギャップというのが、まるで人種が違うかのようにあることをしばしば感じる。そして、そのことがカメルーンという国が、どんな国であるかを分かりにくくしてる一つでもあると思った。

■2月12日(木)9時■72時間め■

一夜明けると、町はまた元通りに戻っていた。

ガキンチョは相変わらず、いつも通り登校してるし、町のブラブラしてる若者たちは、相変わらず日本人を見つけては、「オゥー、オゥー、オゥー」と意味もなくはやしかけてくる。

いつもの光景だ。俺は町で感じるイヤなことにも、もう慣れて、今となっては、たいていのことを我慢できるようになった。

それは、俺には次の世代に期待がもてる、という光明があるからだ。

国がいい方に向かってんのか、悪い方に向かってんのか。ただ単純に経済的な発展だけではなく。俺は、カメルーンという国は、間違いなくいい方向に向かってるって思ってる。

今回、町の様子を72時間見て、そういうふうに思った。

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1年8ヶ月 旅のゴールが見えてくる

協力隊の体験を小学生に説明する

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ドキュメント「青年の日」72時間①

→ ドキュメント「青年の日」72時間②

初出:2015年2月19日(木)

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