青年海外協力隊的あるある・1年11ヶ月 町は俺劇場となっていた

任期も残りひと月少しになって、ぼちぼち帰国の最終調整に入るっていう段階まで来た。

町での生活にも慣れて日々はあっという間に過ぎていくんだけど、この町をまもなく離れるってことについては、驚くほどなんの思いもない。

悲しいということもないし、日本に帰れるから嬉しいということでもない。というのは、この2年のうちにいろんな感情をどこか自分と切り離しておかないと生きていくのが難しかったからだと思う。

この国全土でそうなんだけど、町の人たちは、東洋人に対して

ひどく侮蔑的なコミュニケーションを取ってくる。

カメルーン隊でも来たばかりの隊員は、ずいぶん悩まされていることでしょう。自分も最初そうだったけど、1年くらいしてある時から気にならなくなった。

きっかけは特にはないけど、なぜかある時、自分は彼らを否定することをやめて、彼らの言うことを全肯定するようにした。

「やーい、中国のチョンチョン。あちょーあちょー。」

と言われれば、

あちょーあちょー、とカンフーの演武を見せるし、

「ひーほー。ひーほー。」

と言われれば、そうだよ、俺はひーほんほん、だよーん。と答える。

そんなことをやっているうちに、侮蔑的な対応が気にならなくなった。もっと言うと、別にここの人たちは考えがあって侮蔑的な対応をしていることでもない、ってことにも気がついた。

「嫌だなあ、苦しいなあ、というのは自分が 思ってるだけで、相手は何を思ってるわけでもない。」としたら、何を言われようと空気みたいなもんだ。

おれ、ブッダだし。

今にして思うと、駒ヶ根の訓練で一番役に立ったのは

「座禅」だった

んじゃないかね。

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やや総括すると、この国の人は「バカヤロウ」か「そうでもない人」のどちらかに分かれる。もう少し細かく言うと、「バカヤロウ」か「大バカヤロウ」か「そうでもない人」の3つだ。

「大バカヤロウ」っていうのは、盗んだり、暴力をふるったり、悪意で騙したり、本気で人種を差別する人という意味で、俺は、そのような人にもたくさん会った。

まあ、たいがいが「バカヤロウ」ですむ。

だから、ある時なぜか俺はこのバカヤロウたちを愛してやろう、とは思わなかったけど、「その人たちを接遇する部屋」というのをひと部屋自分の心の中に作ったのだ。

家の中には入ってほしくないけど、まあその部屋には入ってもらって、お茶でも出してちょっとだけ遊ぶ。そういう部屋。

その部屋は今の自分の核心の部分ではないけど、たとえば学生の時にチンコ出して町を走ってたみたいな、自分の一部分ではある。

そのように、町の人たちが珍しい東洋人の自分に注目してくれることは逆に「おれ劇場」みたいで、悪くはなかった。

自分が心開いておどけて見せると、だいたいみんな喜んでくれる。

いろんな芸が増えた。「いんちきカンフー」「ヒヨコから鶏。その一生」「目からビームが出るロボコップ」「ぐるぐる魔人」

へんなの。

後半1年間は、この町はすっかり「おれ劇場」の舞台となって、ずいぶん楽しいと思ったけど。

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今週20日(水)は、カメルーンの「統一記念日」だった。自治体ごとに記念式典が開かれて、またもや小学生から大学生までが記念の行進をおこなう。カメルーンの国民の祝日というのは、何度も書いてるけど、市民たちが決まって知事とか国の歴々の役人の前をパレード行進するってのが慣例になっている。

3月の「青年の日」もそうだったけど、この町の全学生が行進し終えるのに、4時間はかかる。

今回自分は撮影はしなかったけど、ずーっと見ていると、だいたいこの日だけで1200人くらいの子どもたちから「ひーほー。」と呼びかけられた。

その全てに、笑顔で応えた。

協力隊として、だいぶいい仕事をしたなあ、と思う。

(写真=大学生は行進が相当あとなんで、まったりしてるうちに順番が来て、会場へ急ぐ。)

*初出:2015年5月22日(金)

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