青年海外協力隊的あるある・1年1ヶ月 プロジェクトを開始する

先週末に、経済都市「ドゥアラ」に出張してきた。

ドゥアラ、ってのはカメルーンで一番発展してる都市だけど犯罪が多くてJICA的に申請許可がいるんで、なかなかいけない。

首都で政治都市は「ヤウンデ」、経済都市は「ドゥアラ」。江戸時代の「江戸」と「大坂」みたいなもんか。ベトナムの「ハノイ」と「ホー・チ・ミン」でもいい。

ドゥアラには、新しい撮影機材を探しに行った。撮影機材っても、大したもんでもないけど。結論からすると、一番クオリティの高いものでも日本円にして3万円くらいのやつ。

お父さんのホームビデオだよ。

だけど、これを探し出すのが大変だ。

同僚といっしょに、ショップを回る。初めて訪問した「ドゥアラ」は、ずいぶん発展して高層ビルなんか建ってるって聞いていたからそうなのかな、って思ったけど、そうでもない。

大型店ってのがなくて、秋葉原のこまい店が林立してる裏通りが、各地に点在してるくらいのもんだった。秋葉原の「ヨドバシ」にガイジンが殺到するのがちょっとわかるな。

自称「ドゥアラに詳しく」、「俺に任せとけ」っていう同僚といっしょに探し始めて1時間くらい。彼がまったくイケてる店を紹介してくれないので、さすがに困る。

またこれかー。

途上国で、希望の注文が正しく伝わらないってのはいまに始まったことでもないけど、こういう時には、どうしたらいいんだろうなー。

ってちょっと迷って、とりあえずヘソを曲げてみることにする。

「こんなカメラじゃ全然だめよー。」

って言って座り込んじゃう。すると同僚も困っちゃって、電話で甥っ子を呼び出したり、なんか訳知りの友人を呼び出したり、最終的に5人くらいのキャラバンになる。

ぞろぞろ歩く姿はドラクエですよ。

5人が5人分の力を発揮できるかっていうと、効率的には悪いけど、

まあ最終的には、人づてに聞いて聞いて、たどりたどって、まあまあの機材を探し当てることができた。

一事が万事で、これが途上国なんだなって思いを新たにする。人の適材適所を最適化する(最小限のリソースで最大限の効果をねらう)ってことは苦手だけど、とにかく人が集まって、その勢いでなんとかする。1年間の経験で言うと、それでわりと何とかなっちゃう。ってのが

「途上国マジック」である。

すごく不思議だけど、引いた目で見るとなんかその原理はわかった。

言葉にしちゃうとつまんないけど、ふだんから仕事の効率よりも人のつながりの方を重要視しているのは、「人間関係資本」が「目に見える資本」よりも大切な価値観だと思ってるからだ。

逆に、このマジックがあるからこそ、先進国的な方法論では途上国は発展しない、ともいえる。

いろいろだ。

■■■

疲れてホテルに帰って、テレビのニュースを見ている。ラマダン中の同僚の彼は、日没がきて肉入りのバゲットをもしゃもしゃ食っている。

このところのトップニュースは、毎日パレスチナの話だ。もう毎日がパレスチナだから本当に気が滅入ってる。

と同僚が、「もう3日くらい同じ映像の繰り返しじゃないか」とかテレビを批判するので、思わずカッとして、

「そんじゃお前が行けよ!」と怒鳴る。

もし俺だったら行くかな。

どうかな。

行けるんだったら行くのかな。

分からん。

やっぱり一番の判断基準は、自分にとってパレスチナは、自分の半径5メートルのことじゃない、ってのがある。

毎日毎日、何百人の市民が血まみれで殺されてるのは悲しいことだよ。だけどそれが本当に自分ごとかというと、そうじゃない。

日本のニュースで女子高生が殺されたことも、台湾で爆発があって人が死んだことも、全てが等しく悲しいことだけど、当事者にとっては悲しいことで、他人にとって悲しいことではない。

なので、この悲しいことを、自分の悲しいこととして受け止められないのなら、どれも等しく、悲しさを人に伝えることはできない。だから、自分はパレスチナには行けない。

自分の半径5メートルではない。

2年前にイスラエルに行ったときの日記を読み返してみた。

バスで乗り合わせたイスラエルの将校と雑談する。

「君たち日本人はイスラエルをバンバンーだと思ってるね。」

―そうですね。

「でもイスラエルはイラクとは違う。俺たちは、ミドルイーストのピースを願ってる。どうだ、イスラエルはクワイエットな国だろう。」

―確かにクワイエットです。でも多くの日本人は、イスラエルがデンジャーな国だと思ってます。

そう言うと最後、将校は悲しそうなニュアンスの顔をしてバスを降りいった。別の日。

パレスチナ人の労働者が自分を日本人と見てひそひそ声で話しかけてきた。彼はベツレヘムから、ビルの建設のためにイェルサレムに来た。日本のJICAがパレスチナのガバメントと協力して、パレスチナ人を助けてくれるので、とても日本に感謝している、と言っていた。

自分は誇らしい気持ちになった。だから今自分は誇らしい気持ちでここにいることができる。彼が携帯の番号を教えてくれ、という。だけど自分は、イスラエル国内で、パレスチナ人と仲良くすることが怖いと感じた。だから、メールアドレスだけ教えた。

彼からのメールはいまだに、来ない。それだけの話。


(写真=イェルサレムを警備するイスラエル兵の若者 2012年5月撮影)

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→ これからカメルーンに行く人向け、生活や文化情報

 「カメルーンの生活・文化ーとほカメラ

*初出:2014年8月1日

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