青年海外協力隊的あるある・9ヶ月 排除しない国カメルーン

あまりの物事の進まなさにだっふんだ状態が続く。ってのは、ただ1枚の書類を首都の事務所に送るってのが、

かれこれ2週間かかってるから。

書類がぐるぐる回って、ようやく手に入れたと思った瞬間に

2日間ネットが不通。

ってのでかなりストレス。ネットにつながらないことがこんなにストレスになるなんてね。って当たり前の想定内だけど、あらためて身をもって感じたわ。

それとは別に、このところ、「排除する」ってことを考えてる。

近代になると、社会(主にヨーロッパ)は生産性を高めるために、生産性の低いものを排除した。

近代の象徴は「精神病院」だってのは、駿台のお茶の水3号館の論文講座で習った。講座によると、近代になると、生産性の低い、心の病を持った人を精神病院に隔離したんだ、って講師が力説していた。

なんかのイメージだと、江戸時代の農村では「村のキチガイ」は、田植えはしないけど、田植えをする人の気持ちを鼓舞する田植え歌を歌って雰囲気を作ってたんだとか。

(たぶん「カムイ伝」のイメージ。)

そんな感じで、人がそれぞれ持った特性を持ち寄って、共同体というのがゆるーく成り立っていた。ってのは結構ほほえましい光景じゃないかって思う。

そしてアフリカ。

一か月くらい前に知り合いの紹介の記事で読んですごくインプレッションなのは、

「もし早くたどり着きたいのなら、一人で行け。

 もし遠くまでたどりつきたいのなら、みんなで行け。」

 というアフリカの諺がある。

というものだ。この言葉が、このひと月ぐるぐる回ってる。

この土地では、町の人たちは、すごーくゆっくり歩く。時速1キロくらいっていう、信じられないくらいののろさで歩く。おれは早足で歩くから、時速5キロくらいだと思う。だから目的地にたどりつく早さは、俺一人で歩くと、こっちの人の5倍早く着く。

俺はおひとりさまが好きだし、たぶんこの先の人生も、おひとりさまでやっていくんだろうと思う。

んだけど、もしかして、歩みの遅い人も含めて、パーティを組んで歩いていけば、もしかして、もっと遠くまで歩いていける可能性もあるんじゃないかっていう思いが、ぐるぐると回る。

山を登る。

自分ひとりで歩けば、早いとこ山頂に着いて陽の高いうちに降りてこられる。だけど、パーティでいけば、高山病の人を介助する手間はあっても、助け合ってもっと長いこと歩いていられるかもしんない。

山も、人生も、この社会も、なんも同じ。かも。

おひとりさまで生きていけるのは、あまねくネットがつながっているからこそ達成できた。たとえばネットがつながらなって復旧の見通しがたたなくなると、不安で不安で、思わず同僚に助けを求めてしまう自分がいた。

ぐるぐる回って、やっぱり人なのかな。

ってのも想定内だけど、今回のことで自分の中でもなにかが変わりそうな気がしてる。だもんで、最近はあんまりネットにつながないようにしてたりもする。

(写真=教会のイベントの朝、女衆が集まって料理を作る。鍋でかき回してるのはトウモロコシの粉。)

*初出:2014年4月15日(火)

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