青年海外協力隊的あるある・1年3ヶ月 世界スタンダードを目指さない

メッカに巡礼を終えた同僚のキャスターが、今日帰ってきた。

メッカ巡礼ってのはイスラーム教徒にとっての生涯の憧れで、これを成し遂げた人はエル=ハッジ(ミスター巡礼)と呼ばれて人々の尊敬を受ける。

と、本には書いてあるのだが、自分的には、どうだろうね、と思う。この時代に飛行機でひとっ飛びじゃないかと。だけど、この辺境で、とうもろこしの練ったのを毎晩食ってるおじさんが飛行機に乗るなんてのは、やっぱり大変なことなので、本人はえらい喜びようだし、周りの人も喜んでる。

先週末は犠牲祭もおこなわれて、今月は「イスラーム月間」ってことになっている。だけど、去年の今ごろに比べると、なんか自分にとってはあまり珍しくないというか、ちょっと冷めた感じがあるんですよね。

というのは、イスラームをマジ信仰してるのが、この辺境では少ない、っていうことがわかってきたからだ。今日の「ミスター巡礼」を祝福する取り巻きの人たちをよく見ると、

爺さんと婆さんばっかりじゃないか。

若者たちはというと、相変わらず大爆音のアフリカン・ポップスを聞いてビール飲んだり踊ったりするのに忙しい。

それを日々見ているので、かつて東欧だとかどこかの途上国でも見られた、「宗教的でトラディショナルな暮らし」がコカコーラとジーパンに負ける現象が、今、ここでおこってるんだなっていうのがわかる。

今はそれプラス「スマートフォン」になってる。

スマートフォンの毎月の通信代を払える金持ちボンボンの若者は、ちょっと頑張ればサウジアラビアまで行けるんじゃないのか。だけど、同じムスリムでも彼らはきっと、メッカに行くことは選ばないんだろうな。

だからどうということもないけど、世界各地の暮らしぶりの変容は、日々刻々と移り変わって

さまざまだ。

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そんなことで、この2週間ほど任地にいる。先月はあちこち移動してて「生きてるなあ」って感じがしたけど、任地にずっといると「死んでるなあ」って感じがする。

物事の動く速度が遅いし、相変わらず「見えない化」の中で計画性もない。

もう仕方ないですよ。そういうところに来たんだから。

自分の職業のテレビのことを考えてる。

この1年3ヶ月の変遷をたどる。

最初は「なんて計画性がないんだ!もっとよく準備しようよ!」と毎日こぶしを挙げて怒っていたのだが、その後はあきらめモードになって、

「もうね。あんたたちは、好きなようにやんなさいよ。」

となった。最近は、自分が直接何かをすることがむしろ良くないので、鼻くそほじりながら同僚にアドバイスしたりするだけだ。

バナナを買ってきては「バナナ食ってがんばれ~」と言ったり、

たばこを買ってきては「たばこ吸ってがんばれ~」と言ったり、

あんま昔やってたことと変わってない。そんで、最近は

「もう、むしろこれでいいんじゃないか」

とも思うようになった。というのは、テレビ(映像文化)というのは、この先どんどん個別化して細分化していく、って昔思ってたことを思い出したからだ。

すべてが世界標準のやり方である必要はない。テレビ局が、大きなプラットフォームとして、マスに向かって同じ価値観のものを提供する、っていうのは終わった。だけどテレビ局はその方向転換ができない。だから自分は会社を辞めた。

だから、これからの映像文化っていうのは、あんまり世界スタンダードを目指さずに、個別個別の場所において、やっていけばいいんじゃないかと思った。媒体はインターネットになると思うけど。

ユネスコが地域のラジオ放送の支援をしているけれど、テレビ放送の支援はたぶんやってない。できるんならそういうのをやってみたいな。と思うこのごろ。

低予算で、ロークオリティで、計画性がなく、

人のつながりを資本にしてやるしかないじゃないか。

アフリカにしても、これからの日本にしても。

ちなみに、「イスラム国」の外人兵士募集の動画がイケてるらしいですが、見てはないですが、ニュースには「若者たちを惹きつける複雑な加工や編集技術」って書いてあるので、だいたいわかるけど、これも個別化か?

違うな。

(「犠牲祭」夜のキャバレーが若者であふれる。演奏されるのは大音量のアフリカン・ポップス。)

初出:2014年10月10日(金)

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