滞在が最終盤になるほど、町でしきりと笑顔がでる。
これはなんの笑顔なんだろう。
町を歩いていて、不良グループに取り囲まれるとか、いやーな奴に会ったなとか、大音量を発する巨大スピーカーが家の近くに運びこまれたな、とか
逆境的な状況になるほどに、
しょうもねえなあ、と思って笑顔がでてしまう。なんだろうって自分でも不思議に思うんだけど、これがこの町で暮らす自分の適応のあり方だったのかなって思う。この町で暮らすことが自分にとって
いかに辛苦の時だったか
ということは繰り返し書いてきたけど、そういうギャップを受け入れて、なお自分を見失わないようにするのかっていうそのソリューションの結論が、笑顔だったんじゃないか。
もう脊椎反射のように笑顔が出る。
すると、それまで微妙な距離をとっていた町の人たちは「この東洋人は敵意がないんだな」ということを直感的に悟って、とたんに和やかな雰囲気になる。
アジア系とアフリカ系の、遥かに離れた2つの人種は、その一瞬で緊張が緩和されて、なんとなく「まあいいか」的なことになる。
その機微は、今まだ言葉で話すことができない。その昔イラクで亡くなった橋田さんの活動のVTRをテレビで見たときに、なんだか弱っちろくそして現地の人に緊張をさせないようにふるまっていたんだなあ、ってのが印象に残ったけど、そういうのを思い出した。
結局、異邦人がどこか遠くに離れて暮らすというのは、そういうことなんじゃないのかね。
すでに帰国した先輩隊員でも、やっぱり最終局になるほど
一瞬ですごい笑顔をだす人がいて、
純粋にすげえな、と思ったけど、その人はいったいどういう心境だったんだろうかな。
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最後の週は変わることもなく、すでに自分の仕事も終わった。
おなじみのラジオ編成部長とだべってる。「どうだ。カメルーンは発展していくのか、どうか。君の意見は。」
ーそりゃあ発展するでしょ。
って適当に答えてる。だけど、いつになく真剣な表情をしてるので、最後だなと思って意見をのべる。
‐カメルーンは発展するだろうけど、それは俺にはよくないことだと思う。 日本も、ヨーロッパの国も、2000年という長い時間をかけて発展してきた。 ところが、急速に発展しようとすると、よくないことが起こりますね。 人々が、金持ちと貧乏の2極に分かれるということですね。これは、世界中どこの国でも同じです。
‐日本の人は、アフリカ人は飢餓に苦しんでると思ってるけど、 実際2年住んでみて、そんなことはないということが分かりました。みんな食えてる。 そして、みんなタブレットとかスマホを持ってるでしょ。この先なにを望むの。テクノロジーを望めば、逆に生活がおかしくなりますよ。
やっぱり納得のいかない顔をしてる。
それでも、金がない、金がない、という。カンメーム。そして、今よりもなお発展したい、発展したいという。そりゃあ、コカコーラとGパンだわ。
今や情報として先進国の人がどんなに楽ちんな暮らしをしてるかをみんな知ってるから、「なんとなく、そうなればいいなぁー」と思ってる。
だけど、このアフリカの標準的な国々は、十分今のままで安定した状態にあるし、メシも慣れればうまいし、地産地消で低エネルギーだし、おれ個人的には、変わる必要もない。
だけど「今や、世界は一つになってしまった」ので、みんな、先進国のような暮らしがしたいという。
だけどね。
まあ感覚としては、みんな口ではそう言ってるだけで、本気で先進国のようになりたいと思っているわけではない。というニュアンスがある。
だからね。
このままでやってほしいの。長いこと文字もなく、読み書きが極端に苦手なこの人たちには、「友だちとしゃべって時間を過ごす」っていう特技がある。
集中力もなく、時間も守らないけど、それは大雨が降れば外にでられないんだから、そういう大きな自然環境に逆らってはいけない。
雨季になると赤土の道路が冠水する。赤土はあまねく大地をがちがちに覆って、水を吸って泥沼になる。そうしたら道路を舗装するのではなく、横っちょに人が通れる分のバイパスの通り道を作って、通れるようにする。
その方がはるかにコストがかからないし、こちらの人に合ったやり方だ。
いろいろだけど、このアフリカは、このアフリカの環境と、今までのサイクルに適したライフスタイルを崩さない方が体感覚的に、合っている。結局、人類にとっても、って大きく言っても、
多様性という意味で、貴重なことだ、と思う。
それは、ある日地球に隕石が落ちてきて、先進国人が死に絶えても、
アフリカ人は生き残るんじゃないか
っていう意味だ。
ここの人たちは、「それでも発展したい」っていうけど、それは本当の本気には思っていない。だから俺の結論として、俺たち先進国人がそこに何かをもたらす意義を、この任務においては、とうとう見いだすことはできなかった。
もちろん日本国としては「安全保障理事国入りするための票が欲しい」し、協力隊としても、また別の意義がある。
まあ、そんだけのもんだ。
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最後の日が来て、同僚たちと別れを告げる。
立て続けにメールを交換して、「遠く離れても、連絡を取り合おう」と話す。そういう人の情、というかアフリカの情にちょっとほろりとくるけど、読み書きの苦手な人たちと、この先何人とメールで連絡を取り続けていけるのだろう。
出発の朝は、静謐な朝だった。
3日前からラマダーンが始まり、町が静謐に包まれている。同僚たちは、口々に「いつの日か飛行機に乗って、日本に行きたい」と言った。もちろん言っているだけで、本気でそうしたいわけではない。
彼らは、この先も飛行機に乗ることは決してない。
そして自分は、乗合バスに乗って首都へと帰る。2年前にJICAの車に乗ってこの町へやって来たこの道を、いま、逆へとたどる。この町で売っていない缶詰やら牛乳やら、隣町まで何度となく買い出しにでかけた、その道を。
背丈が3mもある、とうもろこしの畑がどこまでも続く。
今日もこのバスは、空を飛ばない。とうもろこしの畑を越えて、買い物客を隣町へと運んでいく。
まもなく自分は、飛行機に乗って、日本へ帰る。
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カメルーン・レポートは次回で終わりです。
(写真=涼しさの残る朝を、太陽が静かに照らす。家と自然の割合がちょうどよくて、住みやすい町だった。)
→協力隊の旅 最終回「すべてわけわかる」
*初出:2015年6月20日(土)