【すばらしいアフリカ紀行】エチオピア・早朝のスピーカーで起こされる-イモ子のアフリカ旅ゴー

金曜の夜に目を覚ますと、町のスピーカーから一晩中「うえー、あーあーー、あ~」という朗誦が聞こえてくるんですよねーww

 

始まりました!これ

 

何かというと、モスクからのアザーン(礼拝のための定時の呼びかけで、各モスクからスピーカーで流す)なんじゃないかって。イスラームの国に行くと、どこの地区にもモスクがあるので、明け方に流れて目を覚ますのでおなじみのやつですねー。

 

慣れない人は目を覚まし、慣れると気づかず寝てられるw

というやつです。

 

■■■エチオピアの宗教ってなんでしょうか


確か、エチオピアの宗教はキリスト教の分派でエチオピア独自のキリスト教だった気がします。ただ北アフリカに距離も近く、歴史的に早い段階からイスラームは入ってきてるんでしょう、ちょいちょいとモスクも見かけますね。

 

寝ながら先ほどのアザーンをよく聞いていると、

 

あっ…

 

「これコーランじゃないわ」

 

と気が付きました。全然違う。どうやらキリスト教会の方のお祈りの朗誦のようですが、まだよくわかりません。

 

もともとアラブ人のコーランの朗誦というのは、ものすごく節回しが美しく、透き通るような高音で聞いて心地いいものなんですね。CDやYouTubeなんかでも聞けると思うので、興味があればすぐ聞けると思うけど、すごく心落ち着くものがあります。

 

さて、それで。イモ子ちゃんがカメルーンにいた時はイスラームの町で、毎日アザーンを聞いていたんですが、これがね。

 

ジャイアン・リサイタルみたいなんですよー

 

低音のボイスで、「おええー、ぼえええー」と唸るようなうめき声です。何だっつったら、低音ボイスのアフリカ人にとって、高音のアザーンを再現することは、そもそも無理だっwww

てことなんすねー。

→ 途上国コラボ キャスで放送中です

 「ツイキャス 小野イモ子 ぷー」

 

■■■他地域の文化実践を受け入れる


ある国が、ほかの地域の文化実践を受け入れることは、その身体的実践も再現する必要があると思います。儀式の際のしぐさだったり、お祈りのやり方だったり、そういうことです。

しかし、とりわけ言語とか音を真似することにおいては、民族の身体的特徴にすごく制限を受けるため、再現することが難しいといえます。

 

つまり、むっちゃ低音ボイスのアフリカ人にはコーラン朗誦をオリジナルのように再現できず、また再現しようとするとジャイアン・リサイタルのように不自然さと異質感が際立ってしまい、「他文化の文化実践を受け入れた」ことが自ずと明らかになってしまうのです。

 

これは、植民地となったアフリカが、他国の言葉を使わなければならなくなったこととも共通しています。いま「低音ボイス」の「アフリカ」と言ってますが、ここでは特に中央アフリカ(コンゴ、ガボン、カメルーンあたり)の人たちを想定してます。ここの人たちはかつてのフランスの植民地として、今も公用語にフランス語を使用するわけですが、

その喋りは

 

抑揚の大きいフランス語の高音が発声できず、声が裏返ってしまう

 

みたいな特徴があります。明らかに不自然です。通常の発声では高音にたどり着けないので、無理して声を裏返らせないと発音できない言語をしゃべってるわけです。

アフリカ人のフランス語は、訛りも含めてこのような特徴があり、しばしば笑いの対象になりますが、その根本には「他文化の文化実践を受け入れざるを得なかった」という状況が背景にあるのだなあ、ということに気が付きます。

 

それを考えると、エチオピアには独自の言語があります。聞いていると日本語のように抑揚が平坦で、すごく身体に合った発話をしている様子がわかります。また冒頭のキリスト教会のお祈りも、メロディが穏やかで自然な美しさがありました。

 

アフリカといっても、さまざまな文化の背景があるんですねー。

→ エチオピアの人に学ぶ生活実践の知恵

 「エチオピア・タクシー運転手の生存戦略」

 

 

以上、現場よりイモ子ちゃんがお伝えしました。(*初出:2018年8月20日)

 

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