おフランスの休暇から戻るときに、同僚へのおみやげを何にしようかと考えていた。
ちょうど1年くらい前も同じだった。その時もどうしようかなって迷って、結局、缶入りのちょっとした可愛らしいチョコクッキーを選んだのだった。
そしたら、「何だよー、たったこれっぽっちしかないのか。気が利かないなー、オノは。」とさんざん馬鹿にされて、そのなんつうか思いやりのなさに
10日くらい寝込んだ
ってのが昨日のことのように記憶に新しい。という反省を生かして、今回は、
超巨大な重量1kgくらいのパウンドケーキ
を3個買ってきた。
そんなん食ったら、口はパサパサになるし、そんなには甘いもの食えないし、俺だったらちょっとアレだ。
だけど、そういうのがいい、って言うんだから。
するとですね。
喜ばれましたよ。
なんというか感慨深い。特に俺の天敵の局長に切り分けてあげると、「これはとてもデリシューだなあ。ありがとう。」と言いながら、むしゃむしゃと一気食いしている。そんな姿を見て俺は
一瞬「うーん。勝ったな。」
と思った。
しばらく、彼がむしゃむしゃとパクつくのを見ている。そうすると、局長はひそかに人を呼んで、金を渡して何かを買いに行かせた。
水だ。
さすがに、こんな湿り気のないパサパサのものをドカ食いしたら口の中の水分もなくなるってもんですよ。だけど彼は、ほんとうに休むことなく大量のパウンドケーキを一気に平らげて、買いに行かせた水をぐびぐびと飲んで、
「いやー、とてもうまかった。」
とお世辞を言った。その一連を見ていて、
俺は「うーん。やっぱり負けたな。」
と思った。いや、勝ちでも負けでもなんでもいい。明らかに局長は、今食ったパウンドケーキをうまいと思ったか思わないか、ということに関心があるわけではなく、「もてなしとして供された大量の食い物を、礼儀として完食し、礼儀としてお礼を述べた」ということなのだった。
ということを理解した。
それがこの地域の文化なのだ。
自分が学生の頃、うちのサークルには「もてなしで供された食べものは、腹いっぱいで苦しかろうがなんだろうが、全部食べないといけない。」という鉄の掟があった。それが社会の中のルールだと。
20年前の俺が、誰かからもてなされた食いものを、いかに苦しくてもガマンして食ったのと同じように、うちの局長も、喉をつまらせながら大量のパウンドケーキを食った。
この1年で、うちの局長のなにが変わったということではなく、単に、俺には可愛らしいと思ったチョコクッキーを彼は「もてなすには、量が少なすぎて、礼にかなっていない」と思い、俺には、口がパサパサになると思ったパサパサケーキを彼は「もてなすに足るものを出されて」感謝して見せた。
それだけのことだ。
それだけのことを、俺が1年かかって学んだとすると、「すいません。負けました。」ということなんだけど、もう勝ちも負けもない。
俺はこの異文化で暮らす2年間を
本当に苦しいと思いながら過ごしてきた
けど、ようやく最近になって、その苦しみが和らいできた。
それはこの土地の人々の、何が変わったということではなく、彼らは彼らの習慣に基づいたことを毎日やっているだけで、それに対して、自分がどう思うか、という気の持ちようが変わったにすぎない。
実は、そういうことは、2400年前に、ブッダが言った。よくは知らない。
「世の中のことで、苦しいなあ、とか思うことは、実は自分が苦しい苦しい、って思ってるだけで、別に相手は、何を思ってるわけでもない。」って、般若心経とかに書いてある。
だから、俺はこの2年間で、相当ブッダに近づいたんじゃないかな、って思う。
たぶん来年くらいには悟りを啓いちゃうんじゃないか、って思う。
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カメルーンに3週間ぶりに帰ってきて、「どう。なんか変わったことある?」って聞く。
「えー。別にない。」って言う。ただ、雨季に入ったのに、今年はぜんぜん雨が降らないからいつまでたっても暑くて困る、って言う。
雨が降らないもんだから、今週の仕事は、局の庭に机をだしてきて太陽の下で気持ちよく書き物なんかをしてる。夕方の5時くらいになって書き物の合間に上を向くと、13日か14日の月があがっていた。
たぶん昨日くらいに、ちょうど満月になった。今日は曇っていて、月は見えない。月の満ち欠けが変わらないように、この土地の人々の暮らしは、今日も別段変わらない。
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ここで制作した2本目のドキュメンタリー番組をアップしました。
「グループで働くということ」(30分。フランス語。)
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→ 協力隊 旅のゴールが見えてくる
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→ 協力隊 町の女コジキに会って金をやる
*初出:2015年5月3日(日)