「縄文展」混雑状況は?イモ凸ダッシュだー

8月はセミ子のイモ子です。うフフ。

いやーそれにしても暑すぎやせんかね。台風が来ると警戒していたものの関東地方からは微妙に逸れて行き、再び暑さが戻ってまいりました。

 

そこで、イモ凸シリーズ夏休み!東京国立博物館「縄文展」です!ドドン。

東京国立博物館の玄関前ー …生活感が漂ってるなぁ

タイトルに「混雑状況はw?」とありますが、そりゃあ混雑してますよ。でもね。

そんなことわざわざグーグルで調べてどうするのか。

 

グーグルで「縄文展」と入れると、予測変換の上位に「混雑」と出るのだけど、それほど混雑状況が知りたいんでしょうか。だもんで、ブログを商売で書く人はSEOの対応としてタイトルに「混雑」とひねり込んでおけば、ヒットされやすくすると、いう塩梅ですねん。(よくは知らない)

それはさておき、縄文展の何がよかったかというと

 

ひさびさに芸術見ちゃったなー

ということにつきます。

今から1万年も前に、日本列島でシカとイノシシと木の実を食ってようやく生きてた人たちは、土器に縄をぐいぐい押して縄目をつけたり、ひも状にした粘土を貼りつけ文様を施すという、まったく生活に必要のない芸術活動を行なってしまった、その細やかさがとても美しいのです。

会場に一箇所だけ写真の撮れるところがあるよ

いま「細やか」といったけど、ただドカンと容れ物を作るだけでなく細工をすることが、ということでして、飾りとしては「大ぶりとして嫌味がなく、のびやかとして活力を感じさせるもの」だと思います。

 

縄文中期からは装飾も大胆な感じが強くなり、しばしば炎のゆらめきを表わしたような「火焔」のモチーフが土器の縁に表現されるようになります。

これも、日の暮れて煮炊きをする火を見つめていた縄文人が、炎の形の絶えず変化して瞬間に姿を変えていく様を見て、「これを形に表現してみようかな」とシンプルに思ったかと想像すると、心にぐっときます。

 

こういった装飾が主に東日本を中心としてですが、同時多発的に生まれ、各地の名もない一般の人が、いっぱいのクリエイティビティを発露させていたかと思うと、その行為、生きていくのには全く役に立たないけれど、どうしても装飾をしなければならなかった縄文人の精神に、とても感激をして「これは芸術みあるわー」としみじみ思ったのでした。

 

こんなシンプルな感激は、カメルーンでの2年間の務めを終えて帰ってきて、日本のスーパーマーケットで豆腐を見た時に、イモ子ちゃんはさめざめと泣いてしまったのですが、その時の感動に匹敵するものです。

なかなか伝えずらい、というか、分かってもらえる気が全くしないぞなもし。

 

■■■土偶とかも見どころだよ


教科書に載っているんでね、有名な、女性を形作った土偶もキュートで可愛らしいですよ。なんか写真で見るとね、私たちって「見ているようで見てない」んですね。まず顔(^^) を見ていただきたい、優しいと同時におかしみが伝わってきます。多くの土偶は、360°回って立体的に見てみるとすごいですね、女性の豊満な感じがなめらかに強調されていて、その曲線が美しくて気持ちが満たされる感じになります。

 

横から見ると特に、お尻のシェイプなどとても見事ですw

土偶は、面白いことに、見る限り「ほとんどのものが、女性をモチーフにしたもの」だそうです。男性をモチーフにした土偶はないようなんです。

これは面白いですよ。よく教科書では「(女性の豊満さを豊穣の象徴として)作物の豊穣を祈念する儀礼として使われたのではないか」などと書いていますが、太古の昔から、というか原始、男と女ができて以来

 

「女の方がファボられ社会」であるw

と見ることができるでしょう。

それでは男性をモチーフに形どったものがないかというと、それは “男性自身” つまり男性器の「棒」が残っているのでした。

今でも、どこかの神社で「男根祭り」みたいなw 祭りをやっていますが、縄文時代でも、結構、巨大な男性器の棒が作られ現存しておりww これもぜひ会場で確認していただきたいと思います。

「縄文ー1万年の美の鼓動」は9月2日(日)までです

→「デザイン あ」展のレポートはこちら、だよっ

「夏休み!小学生のお出かけに「デザインあ」展」

 

 

■■■縄文から弥生へ


やがて稲作が始まり弥生時代となると、土器に装飾がほどこされなくなり、道具は「実用第一」となり縄文文化が終わります。それを考えると

 

人類は「生産性を上げよう」と考えると芸術は終わる

傾向にあるのかもしれません。

 

では、おなじみの「シバ」で閉めたいと思います(古屋和雄アナ「街道をゆく(司馬遼太郎)」朗読調で)。

狩猟採集の縄文にあっては、捕れる獣や木の実に限りがあったので、余計に努力するということは、しなかった。その代わり縄文人は、余剰の時間で芸術をした。どこか、駘蕩としている。

これに対して稲作が普及する弥生では、努力するほど収穫量が上がった。努力が目に見えて成果につながることは、一見よいことのように思えるが、実は人の想像力を狭くする。弥生人は寸暇を惜しんで仕事にうちこむことで、せっかく縄文に築き上げた芸術の精神を、忘れていったと言えるかもしれない。

それが今日の日本に至ると考えると、芸術に金をかけない日本の心性はなるほど、弥生から始まっているのかもしれない。

はい、いち、に、さん、シバー!

 

以上、現場よりイモ子がお伝えしましたー。

 

→イモ子ちゃん、ただいまエチオピアを取材中です!(8/20現在)

 「若者が集まる最恐ロードをゆくーイモ子のアフリカ旅ゴーゴー」

 

→東京おもちゃショー2018のレポートはこちら、だよっ

 「おもちゃ大賞トミカ4Dは面白い(共有玩具)」

 

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