再訪・カメルーン③

■■■「日本がどんな風に見られているか」を可視化する■

大学院1年目の夏に、「修士論文構想発表会」みたいなものがあった。そこで「カメルーンでドキュメンタリー制作をして、その制作実践の記述と分析を修論にする」ってことを発表した。詳しいことはなーんにもアイディアがなかったけども、とにかく学校の中でひたすら座って授業を受けていることがちょっとヤバみで、「これは一刻も早くフィールドに出て行かないといかん」と焦っていた。こじつけでも何でも「小野はカメルーンに再び行ってしまうのだ」ということを、周りの人やら先生やらに宣言しておかなくてはならなかったのだ。そうすれば、後期の授業に出なくてもすむではないか。

大学院は、想像していたより遥かに忙しかった。前期は単位をとるために毎日夕方まで授業があって、レポートや発表も1日おきくらいに何かあるし、英語もガンガン読まされてプレゼンもある。The Japan Times なんかは割と読めるけども、The New York Timesとか単語も全然わかんないし、何言ってるのかよく分からない。学科が“メディアコース”なので、権威的な新聞を読む、ってことは割と重視されていた(そういう先生が多かった)し、新聞そのものが研究の対象物だったりする。

この年は、ちょうどオバマ大統領が広島を訪問した「伊勢・志摩サミット」の時で、各国の新聞がサミットをどのように報じているのかを比較する、みたいな課題が出た。

「小野くんはフランス語ができるから、ル・モンド担当ね、はいー。」と言われて、Le Monde紙もよく読んだ。この時はフランス語の方がよくできたから英語を読むより楽で全然読めないってことはなかったけど、手間はかかる。

幸いなことに(?)、フランスの新聞には日本でおこなわれたサミットの記事がほとんど載らなかった(合計9本、うちオバマの広島訪問関連が6本、サミットそのものは3本)。関心がないっていうことだ。価値がないっていうか。「ロシアが抜けているし、中東問題も当事者がいないし、経済についても中国、インドがいない」として、有効性に一貫して疑問を呈していた。「決める場よりも、指導者たちが熟考してしまう場である」と批判的だったのだ。

これに対して、日本の新聞は当然お祭り騒ぎのように、連日連日関連の記事が載る。なので日本人にとっては「これは世界中が注目しているサミットだ」と思いがちだが、国際的に比較してみると、その温度差が目に見えて明らかになる、という塩梅に学びを得る、というわけだ。

「カメルーン」に話をもどすと、もし私たちが「日本は、向こうの人たちからどう思われているだろうか」という問いを立てたとする。「きっと先進国で技術大国で伝統文化のある日本は、発展途上国でさぞかし尊敬を受けていることだろう」などと思いがちだ。だけど、前回も書いたように、実態としては、毎日毎日、町中の人からからかわれたり、侮蔑の言葉を投げられたりする。まさかそんなことになっているなんて、日本に住んでいては、知る由もない。「日本なにそれ、おいしいの?」なのだ。

日本のことなど関心がないってことだ。価値がないというか。(つづく)

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